LOGIN晩餐会へ出席するかどうかを決める会議で、意見は三つに割れた。
相沢は招待状そのものが誘導だと言い、彩花さんは内部資料へ近づける機会を捨てるべきではないと主張した。蓮は、榊原側が私を人前で取り乱させ、母と同じ「不安定な女」に仕立てる可能性を指摘する。 征臣だけが、会場図の上へ指を置いたまま黙っていた。「あなたは?」 私が聞くと、視線が上がった。「行かせたくない」 部屋の空調音が、急に大きくなる。 以前なら、そこで話は終わっていたかもしれない。警備上の判断、という名前をつけて。 征臣は会場図を閉じかけ、手を止めた。「止めても、君は行くんだろう」「行きます」 母が最後に座った席を見たい。榊原家が何を見せ、何を隠そうとしているのか、自分の目で確かめたい。 そこまで説明すると、蓮が腕を組み直した。「俺も入る」「招待は一名です」「鷹宮側の同伴者で通す」 征臣の声が重なった。 二人が会場図へ榊原財団の晩餐会は、美術館を貸し切って開かれていた。 白い石の階段。天井から細く垂れる照明。歴代理事長の肖像画の間に、寄付を受けた病院や施設の写真が並ぶ。救われた人々の笑顔が、同じ大きさの額へ整えられていた。 車を降りると、報道陣のライトが一斉に向いた。「白鳥家の不正について、追加の告発をされるのですか」「鷹宮副社長との婚約は継続していますか」 母の名前は出なかった。家と男の話だけが、階段の下から追ってくる。 足を止めず、ガラス扉の内側へ入った。背後で扉が閉じ、フラッシュの白さが薄くなる。 振り返ると、車の横に征臣が立っていた。約束した位置から先へは来ない。通りの向こうには蓮の車、館内の警備室には彩花さんがいる。 受付で招待状を渡す。「白鳥澪様。お待ちしておりました」 名簿にも席次表にも、家の肩書きはなかった。私の名前だけが印字されている。 係員の後ろを歩きながら、壁の写真へ目を走らせた。寄付者たちの後列に、母がいる。半分ほど別の人の肩に隠れ、説明文に名前はない。 足を止めると、係員の靴音も止まった。「この写真は、いつのものですか」「お席へ着かれたあと、ご案内いたします」 答えではなかった。 私は端末を出さず、位置だけを覚えた。入口から左へ三枚目。白い柱の横。写真の端に、細い影が落ちている。 係員は一歩先を歩き始めた。私はその背中から少し距離を置いて続いた。 会場中央の円卓には榊原宗一郎、その右隣に紗英。左側だけが空いている。「こちらです」 椅子を引いた係員が、声を落とした。「菜月様が最後にお座りになった席です」 背中を撫でる冷気は、館内の空調のせいだけではなかった。 紗英が立ち上がる。「約束しましたから」 椅子の背には、小さな青い布が結ばれている。母の図案帳に描かれた鈴と同じ色だった。 すぐには座らず、テーブルの下へ目を向ける。椅子の脚に細い傷が幾つもあり、何かを繰り返し取りつけたように同じ高さで並んでいた。 指を近づけると、金属だけが冷
晩餐会へ出席するかどうかを決める会議で、意見は三つに割れた。 相沢は招待状そのものが誘導だと言い、彩花さんは内部資料へ近づける機会を捨てるべきではないと主張した。蓮は、榊原側が私を人前で取り乱させ、母と同じ「不安定な女」に仕立てる可能性を指摘する。 征臣だけが、会場図の上へ指を置いたまま黙っていた。「あなたは?」 私が聞くと、視線が上がった。「行かせたくない」 部屋の空調音が、急に大きくなる。 以前なら、そこで話は終わっていたかもしれない。警備上の判断、という名前をつけて。 征臣は会場図を閉じかけ、手を止めた。「止めても、君は行くんだろう」「行きます」 母が最後に座った席を見たい。榊原家が何を見せ、何を隠そうとしているのか、自分の目で確かめたい。 そこまで説明すると、蓮が腕を組み直した。「俺も入る」「招待は一名です」「鷹宮側の同伴者で通す」 征臣の声が重なった。 二人が会場図へ身を寄せる間に、私は招待状を手元へ引いた。「中には、一人で入ります」 三人の顔が上がる。「外にいてください。連絡も取れるようにします。でも、会場で誰かの婚約者や代理人の席へ座るのは嫌です」 自分の名前で届いた招待状だった。罠でも、その名前まで誰かの肩書きへ戻したくなかった。 相沢が危険性を説明し始める。私は遮らず、最後まで聞いた。警備導線、監視死角、退出時の合図。聞いた上で、招待状を鞄へ入れた。 征臣の顎がわずかに固くなる。「入口までは行く」「……はい。そこまでは、お願いします」「出る時は連絡しろ」 命令に近い語尾だったが、会場へ入るなとは言わなかった。 退出の合図は、銀鈴を二度鳴らすことになった。一度なら問題なし。二度で迎えに来る。鳴らす余裕がない場合に備え、母の指輪の内側へ小さな発信器もつける。 装着すると、指輪が以前より重く感じた。「重いです」 征臣の指がすぐ留め具へ伸び、途中で止まった
翌日、高城運送の旧倉庫で見つかった箱は空だった。 底には白い粉が薄く残り、側面に榊原財団の旧ロゴが焼きつけられている。いつ、何を運んだのかは分からない。蓮が工具を差し込み、底板を持ち上げると、木と木の隙間から封筒の角が現れた。 宛名は高城和臣。差出人は榊原紗英。 〈今後の配送については、父ではなく私へ直接報告してください〉 日付は、母が亡くなる半年前だった。「ずっと前から関わっていたんですね」 私の声に、征臣は返事をせず、封筒の糊が剥がれた跡を見ていた。蓮が証拠袋を用意し、彩花さんが粉を採取する。袋には番号が振られ、採取時刻が読み上げられた。感情を挟む余地はなかった。 外へ出る頃には日が落ちていた。 蓮は旅館へ戻り、彩花さんは資料を持って解析室へ向かった。車の後部座席で一人になると、私は財団の晩餐会を知らせる記事を開いた。 昔の写真に、征臣と紗英が並んでいる。どちらも笑っていない。黒い服、まっすぐな姿勢、背後に並ぶ家名。写真の中では、二人の間に説明のいらない線が引かれていた。 画面を閉じる前に、征臣が気づいた。「何を見ている」「昔の写真です」「消していい」「私の端末です」 言葉が重なり、征臣が眉を寄せた。「端末の話ではない」 分かっていた。私は画面を伏せた。「……やっぱり、似合っていますね」「誰が」「あなたと紗英さんが」 自分で言っておいて、幼いと思う。けれど、撤回するのも負けたようで口を閉じた。 征臣は窓へ背を預けた。「並んで写っただけだ」「そうですね」 肯定した声が、少しも納得していないことを自分でも聞き取れた。 信号で車が止まる。赤い光が車内へ入り、伏せた画面の縁だけが明るくなった。「俺は、君が隣にいる方がいい」 飾りのない一言だった。 顔を上げられず、端末の上へ手を置く。青信号へ変わって車が動き出しても、指先だけが画面を押さえていた。 記事には、二人が幼い頃から家族ぐる
紗英が出ていったあとも、テーブルには紅茶の匂いが残っていた。 名刺の下辺に引かれた青い線は、研究棟の地下廊下で見たものと同じ色だった。印刷会社が選びそうな青にも見える。そう思って名刺を裏返したが、指はそこから離れなかった。 征臣は冷めたカップを端へ寄せ、紗英が置いていった資料を閉じた。「昔、縁談があったんですね」 問いかけるまでに、妙に時間がかかった。「あった」「どちらから?」「両家だ。大学を出た頃、父が話を進めた」 返事は短い。こちらを見ないのは、隠しているからなのか、ただ過去の話だからなのか、今の私にはまだ見分けがつかなかった。「紗英さんは」「反対はしなかった」 そこで征臣の指が資料の角を押さえた。「俺は断った」 理由を聞こうとすると、先に言葉が続いた。「家が決めた相手と、そのまま結婚する気はなかった」 目の前にあるのは、彼が差し出した契約婚約から始まった関係だ。私が黙ったせいで、征臣も同じところへ気づいたらしい。「君の時とは違う」「最初は、ですね」 言ってから、カップの水面を見た。言葉だけが先に出て、胸の奥が遅れて熱くなる。 征臣の視線が止まった。「……今も、私を白鳥家から出すためだけですか」 名刺の青い線を爪でなぞる。顔を上げれば、返事を待っていることまで見透かされそうだった。「もう、それだけではない」 低い声が落ちた。 その先へ進む前に、征臣の端末が震えた。高城運送の旧倉庫で、榊原財団の封印がついた箱が見つかったという。蓮の声が漏れ、室内の空気が仕事へ戻る。 征臣は立ち上がりながら指示を出した。私は名刺を鞄へ入れた。さっきの返事までしまい込んだようで、ファスナーを閉じる手が一度止まった。 車寄せへ向かう廊下の先に、紗英がいた。ホテルの役員と話し、相手の言葉に自然な角度で頷いている。隣に征臣が立てば、古くから両家を知る人間には何の違和感もないのだろう。 似合う。 その言葉を消そうとして、やめた
榊原紗英から面会の申し入れが来た。 場所は、財団本部の応接室ではなく、鷹宮ホテルのラウンジを指定している。人目のある場所を選んだのは、警戒しているからか、見せたい相手がいるからか。 紗英は白いスーツで現れた。 聴聞室の廊下に立っていた女性と同じだった。髪を低い位置でまとめ、宝石は小さなものしかつけていない。莉々花の華やかさとは違う。目立たないよう整えた人ほど、周囲の視線を集めることがある。「お久しぶりです、征臣さん」 聞き慣れているはずの呼び方なのに、紗英の口から出ると別の音に聞こえた。膝の上で組んでいた指を、無意識に組み直す。 征臣は立ち上がらなかった。「用件を」 それだけだった。懐かしさも苛立ちも声には出ない。その無愛想さに安心した自分を認めるのが嫌で、私は先に紗英へ視線を戻した。 紗英は私を見た。「初めまして、白鳥澪さん。お母様には、昔お世話になりました」「録音に残っていました」 彼女の笑みが、ほんの少し薄くなる。「……そこまで残っているんですね」 紗英は母と会っていたことを認めた。ただし、研究不正を止めるために説得していたのだという。「菜月さんは体調を崩されていました。数字を結びつけすぎて、周囲を疑っていた」「母が間違っていたと?」「病気の方には、そういうこともあります」 柔らかい言葉だった。 母を嘘つきにした人たちも、同じ声を使った。 私は指輪へ触れず、紗英を見た。「では、四十七秒を削ったのは誰ですか」「存じません」「榊原家の車が、録音のあと宿へ向かった理由は?」「父の秘書に確認します」 返事は早い。それ以上は何も話さない。 紗英は紅茶へ口をつけ、征臣へ視線を移した。「あなたまで、このような調査に深入りするとは思いませんでした」「君に許可を求めた覚えはない」「以前なら、鷹宮家の損失を先に考えたでしょう」 以前。 その一言だけが、私の知らない二人の時間を示し
二つ目のファイルは音声だった。 再生すると、空調の低い音が流れた。しばらくして、母の咳が聞こえる。 私は反射的に停止ボタンを押した。 会議室の誰も動かなかった。「少しだけ、待ってください」 水を飲んでも、喉の奥の乾きは消えない。病室の扉の前で、母の咳が止むのを待っていた頃を思い出す。入れば心配させる。入らなければ会えない。いつも決められないまま、面会時間が短くなった。 もう一度再生した。 母は誰かと話している。 〈この数字は寄付ではありません。患者の数でしょう〉 男の声が答えるが、波形だけが残り、音は削られていた。 〈澪には関係ありません。あの子の名前を使わないで〉 再び無音。 四十七秒後、別の女性の声が入る。 〈菜月さん、今ならまだ、間違いだったことにできます〉 彩花さんが顔を上げた。「紗英さんです」 征臣の表情は変わらなかった。ただ、机の上で組んだ手に力が入る。 録音の最後、母が小さく笑った。 〈間違いだったことにしたいのは、私ではないでしょう〉 そこで音声は切れた。 四十七秒の空白には、編集の痕跡がある。元のデータから特定部分だけが抜かれていた。「復元できますか」「一部なら」 解析担当者が答える。 削った人は、母と話していた男の声を隠したかった。紗英の声は残しても構わないと思ったのかもしれない。 蓮が録音時刻を事故記録と照合する。「この三時間後、榊原の車が宿へ来てる」 私はヘッドホンを外した。 耳の奥に、母の咳だけが残る。 征臣が手を伸ばしかけ、途中で止めた。私はその手を見てから、自分の指を重ねた。 ほんの少し触れただけで、彼の手が固まった。「続けます」 私が言うと、今度は手を引かなかった。 解析担当者が波形を拡大すると、無音部分にも微かな振動が残っていた。完全に消したのではなく、別の音を重ねている。 一定の間隔で、金属が触れる音がする。「